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著者は日本のダンスホールを40年以上にわたって研究してきた。本書は、その過程で収集した資料や関係者に取材して得た証言をもとに執筆したものである。けれども、堅苦しい学術書のスタイルをえらばなかった。展覧会の図録のように「見て、読める資料集」として参照されることをめざし、大正時代から昭和戦前期のモダニズムのありようをさまざまな視点から記述した。音楽やダンスだけでなく、文学、映画、建築、美術、ファッションなどのジャンルにも目を配った。たとえば谷崎潤一郎にはダンスにのめりこんだ時期があり、その経験は作品にも反映されている。だが、谷崎が踊ったのは横浜だけでなく、関東大震災後に移住した京阪神でも黎明期の踊り場を訪れている。そういったあまり知られていないエピソードにもページを割いて紹介した。また、じゅうらいの風俗史やモダニズム文化研究は、東京の事情を中心に描きだしてきた。読者に残される印象は、東京の歴史を一般化したものだ。しかしながら、黎明期のジャズやダンスのひろがりを支えたのは関西に展開したダンスホールである。これまでは資料の欠落などから東京以外の事情については、あまり目を向けられることがなかった。けれども近年、東京以外の地方の記録が発掘され、活用できる資料も充実した。本書では、等閑視されてきた関西や、他の地方の都市、あるいは温泉地、さらには「外地」のダンスホールにも目を向け、踊り場や音楽の場にかかわった経営者やダンサー、ミュージシャンなどを紹介している。欧米から伝来した洋楽洋舞を日本人がどのように受容し、伝統的な文化がどう変容したのかを論じるのではじゅうぶんとはいえない。本書は、西洋文化と日本の伝統文化の対立、葛藤という図式にはおさまらないことがらにも注目した。たとえば、京都の花街、祇園や先斗町が社交ダンスやレビューを積極的に採りいれようとした事実がある。この融合のありようは、伝統的文化が柔軟だったことを教えてくれるが、その流れは断ち切られる。ひとつは警察による干渉で、風俗営業取締は、花街での伝統的な技芸と、新興娯楽施設でのサービスとの混交を阻んだ。もうひとつは戦争で、日本の伝統的な道徳や生活と、欧米由来の性風俗や娯楽とはなじまないと見なす価値観が、外来のものを排除する力として作用した。本書では、これらの経緯について、数多くの図版を示しながらエピソードごとに解説している。1932年にシカゴ大学から出版されたクレッシー著の『タクシーダンス・ホール』。本書は、その東アジア版になることをめざしている。だが、欧米で生じた新しい文化現象が「遅れた」東アジアに伝わったのではない。20世紀前半の世界における流行現象のひろがりは、いま想像する以上に速い。欧米と東アジアの人びとは、流行をほぼ同時に経験する。しかし、その後の展開が、地域の歴史や社会の特性によってさまざまだったことを理解してほしい。
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